野底岳

僕たちが自然のためにできること

プロジェクト開始にあたって

僕は自然が好きです。どうして好きになったのか聞かれても分からないほど、ずっと前から好きです。今、その自然が消えつつあります。2019年11月、日本自然保護協会が、全国の里山市民調査「重要生態系監視地域モニタリング推進事業(里地調査)」で、2005年~2017年度の全国約200か所の調査地から得られたデータをとりまとめた報告書を出しました。それによると、日本の里山において、チョウやホタルなどの昆虫類のほか、ハシブトガラス、ヒヨドリ、ツバメなどの鳥類、ノウサギやテンといった哺乳類など、これまでごく普通にみられていた身近な生物の多くが減少傾向にあることが分かりました。こうした傾向は世界レベルで起きていて、2018年10月にWWFが発表したLiving Planet Report 2018では、「過去40年間で野生生物の個体数が60%減少」と報告されました。特に顕著に減っているのが昆虫類です。オランダの研究チームが2017年10月に発表した論文によれば、ドイツの自然環境保全地域63か所において、1989年から2016年の27年間で飛翔性昆虫が76%減少しました。さらに、絶滅の危機に直面している世界の動植物100万種のうち、約半数が昆虫であると報告されています。これらの研究から分かるように、世界では急速に生物が減っていき、多様性を失っているのです。ここまで読んで、「虫けらごときが減ったくらいで何を大げさな」とか「あんな気持ち悪い生物さっさと絶滅してくれた方が良い」と思われた方もおられるでしょう。でももう少しだけ、話にお付き合いください。

昆虫類の減少は人類存続の危機

昆虫が絶滅したら、人類は滅亡します。これは冗談でも脅しでもなく、大真面目に言っています。まずは下の図をご覧ください。学校の理科の授業で一度は見たことのある生態系ピラミッドです。今からこれをベースに話を進めます。昆虫類は、生態系ピラミッドのより上位にいる鳥類や魚類、小型哺乳類の大切な餌になります。もし昆虫がいなくなれば、食べるものを失った小型の動物たちは生きていくことができずに絶滅します。すると今度は、その小型の動物を餌としていた大型の肉食動物も、同じように食べるものを失い絶滅してしまうのです。では、下位に位置する植物はどうでしょうか?近年では、動物性タンパク質を一切摂らない食生活を送る方がいますが、彼らのようなライフスタイルであれば人間は問題ないのでしょうか?生態系ピラミッドで見ると、植物を食べる昆虫がいなくなるのだから、植物にとって良いのではと考えてしまいがちです。農薬も使わなくて済みそうですしね。しかし実際には、昆虫がいなくなることで植物も大打撃を受けます。世界に存在する植物の約80%が、昆虫に花粉を運んでもらっているからです。実や種をつけることが出来なければ、植物も存続できずに絶滅してしまうでしょう。動物と植物の両方が大量絶滅を起こせば、それらを糧として生活している人間も、当然生きていけなくなります。私たちも動物です。生態系サービスに支えられながら、経済活動をしているのです。この大前提を忘れてはなりません。自然に興味が無い人や虫が嫌いな人も、さすがに無関係ではいられないということが分かっていただけたでしょうか?

次のセクションからは、消えゆく自然を守るために一体どうするのが良いのか、僕なりの考えをお話しします。

生態系ピラミッド.png

図. 生態系ピラミッド

秘密主義の弊害と限界

結論から言うと、これからのあるべき姿は、「多くの人が身の回りにどんな生き物が暮らしているのかを共有していて、地域で協力しながら環境ごと守っていくこと」だと考えています。しかし、それには弊害があります。僕たちのような自然愛好家は、生息地の情報を他人に話すということはしません。公開することで、その生き物を求める多くの人が集まってしまい、環境が荒らされたり、乱獲や盗掘が起こる恐れがあるからです。ランドマークや山の稜線から、Google Earthで場所を割り出されるなんてこともざらに起こるので、風景の写真を撮るだけでもかなり気を使います。だから暗黙の了解として、ポイントは明かさないのが普通です。

 

しかしそのせいで、守れたかもしれない環境が失われたケースも多いのではないでしょうか?少し記憶を思い起こしてみてください。とあるポイントを久しぶりに訪れてみると、「良質な草地が造成されて分譲地になっていた」「自然の水路がコンクリート固めになっていた」「木々が伐採され太陽光パネルが設置されていた」「ため池に錦鯉が放流されていた」...などといったことはありませんでしたか?自分の経験でなくとも、そうした光景をSNSで目にしたことはありませんか?もし近くの住民が、土地所有者が、自治体が、そこには貴重な環境があることを知っていて、保全の重要性を認識していたら、違う結果になっていたかもしれないとは思いませんか?

 

確かにこれまでは秘密にすることで守られてきた部分もあります。そのやり方を否定する気はありませんし、場所や状況によっては明かさない方が良いと考えています。しかし、生物多様性の保全という観点に立ったとき、秘密主義であることは、守れる範囲を自ら狭めてしまっているのではないでしょうか?希少種だけを守れば良いというわけではありませんし、最初にご紹介した報告書にもある通り、当たり前に見られていた普通種も数を減らしてきています。今の体制とやり方では、生物多様性が失われる速さにはとても敵いません。「みんなが知っていて、みんなで守る」。それがこれからのあるべき姿ではないでしょうか?できるところから、どんどんシフトさせていかなければならないと思います。

今こそ原点に立ち返ろう

「みんなが知っていて、みんなで守る」とは言ったものの、一体どうすれば実現できるのか?どうすれば、生態系保全のために多くの人が行動してくれるのか?これはかなりクリティカルな課題だと捉えています。生物多様性が人間に恵みをもたらしてくれることや、その喪失が人類存亡の危機になり得ることは、説明すれば大半の人には理解してもらえると思います。でも大事なのは、理解より先の「行動」に移してもらうことです。

 

そこで、自分がなぜ今こんなことをしているのかを考えてみました。正直なところ、僕が自然を守ろうとしているのは、ただ単に好きだからです。ずっと側に残っていて欲しいからです。自然が人間にとってなくてはならない存在だからという理由は、義務感にこそなれ、決して動機とまでは言えません。もちろん、なぜ守る必要があるのかと問われれば、真っ先に「なくてはならないから」と答えるでしょう。ただそれでは人は動きません。もっと行動に駆り立てる「感情」が必要です。

これを人間の行動原理の根幹と捉えたとき、もっと違うアプローチで人々の行動を喚起しなければいけないと考えました。TwitterなどのSNSには、僕の他にも自然を守りたいと考える人が多くいます。好きな生物はそれぞれ違いますが、皆一様に変態です。ド変態です(褒め言葉です)。タイムラインは、いつも好きな気持ちと愛で溢れています。これは自然愛好家に共通する感情、そして原点なのだと思います。自然を守りたい思う一番根っこの部分です。それを一般の人まで広げて「みんなが知っていて、みんなで守る」を実現するためには、出来るだけ多くの人に自然と触れ合ってもらい、そして好きになってもらうことが大事だと考えました。ただ、いきなり触れ合ってもらうのは難しいので、人と自然とをつなぐツールを探しました。次は、そのツールの話をします。

Biome vs iNaturalist

2019年に僕は2つのツールと出会いました。それが「Biome」と「iNaturalist」です。それぞれ特色がありますが、どちらもミッションは同じです。市民から寄せられた生物の分布情報を用いて、生態系の保全に生かそうとしています。

 

Biomeは日本のベンチャー企業が作ったアプリのサービスで、「いきものコレクションアプリ」と銘打っています。ポケモンGOのリアル版といった感じでしょうか。ゲーム性が高く、クエストというミッションが与えられたり、コレクションした実績に応じてメダルが貰えたり、ユーザーを楽しませる要素が多く仕掛けられています。その一方で、登録されている生物の分類が間違っていたり、誤った投稿の修正がなかなかされないという問題があります。またデータを活用するという面では使いづらい印象です。

 

iNaturalistはアメリカ発祥ですが、今や世界中で利用されている生物分布情報のプラットフォームです。ブラウザとアプリの両方で利用できます。キュレーターと呼ばれる有志の編集者がいて、生物の分類は正確かつ最新のものにどんどん更新されていきます。こちらはWikipediaのようなイメージです。ユーザー自身が、観察記録を収集するプロジェクトを自由に立ち上げることができるなど、カスタマイズ性にも優れています。弱点としては、初期状態では学名でしか登録されていないので、対応する和名をユーザーがひとつひとつ編集で追加していかないと、一般のユーザーには使いづらいことが挙げられます。

 

僕が両方試してそれぞれの良い点・悪い点を勘案した結果、生態系保全のための分布データ収集には、iNaturalistが最適なツールであると判断しました。そこでまずは、直翅類の分布調査プロジェクトを立ち上げます。直翅類の和名については、既にあらかた登録を終えています。

なぜ直翅類なのか

分布調査をなぜ直翅類でやるのかと言えば、僕の守備範囲であることが一番の理由です。『直翅類.jp』では、個別の種について、敢えて詳しい分布域を明示していません。現在知られている分布情報は、言ってみれば「過去のデータの蓄積」であり、情報の解像度も荒く、あまり更新されていません。そうすると、「実際にはもういないのに、情報の上では生息していることになっている」ということが起きてきます。環境の急速な変化に対応できなければ、対策を打つまでもなく生息地が消失していきます。これからは、よりリアルタイムに近い状態で分布域や生物相の変遷を見ていく必要があります。詳しい環境調査は、専門性を持った人が適切な手法を用いて行わなければなりませんが、「いつどこに何がいた」というくらいは、一般市民でも十分に可能です。そのためにiNaturalistを活用します。目指しているのは、「みんなが知っていて、みんなで守る」という状態です。いずれは他の分類群でもこうした流れが波及して欲しいと思っています。そのための下地を作るのに、直翅類はもってこいの存在です。理由は大きく3つあります。

 

1つ目は「生息環境の多様さ」です。直翅類の生息域は、河川敷のような草地だけではありません。礫河原、海岸、砂浜、荒れ地、田畑、湿地、落葉樹林、針葉樹林、照葉樹林、マングローブ林、高山帯、洞窟、アリの巣など、南北に長い日本の極めて多様な環境に適応し繫栄しています。陸域の自然環境は、ほぼカバーしていると言えるでしょう。

 

2つ目は「身近であること」です。自然と慣れ親しんでもらうためには、身近にいる生物であることが大前提です。直翅類は、住宅地にもいるほどの近しい存在であり、そこそこ知名度も高く、比較的取っ付きやすい部類だと思います。

 

3つ目は「特別な保護を必要とする種が少ないこと」です。iNaturalistでは、準絶滅危惧よりも緊急度の高い生物種については、位置情報が非公開となる運用をしています。まだ北米などの一部地域に限られますが、日本でも環境省のレッドデータに基づいて、同様の対応にするか協議をしているところです。少なくとも現時点(2021年1月)では、ユーザー自身が設定しない限り、分布情報が公開されます。すると、サンショウウオのような両生類や、タガメ・ゲンゴロウのような水生昆虫など、乱獲を受けやすい生物種の生息情報がオープンになってしまい、減少リスクを高める要因になります。幸いにして、直翅類は緊急度の高い種類はごくわずかであり、他の昆虫類に比べて、乱獲のリスクも低いです。だからこそ、直翅類の分布調査をiNaturalistで行いながら、自然との接点を増やし、自然に慣れ親しんでいく中で、生態系保全の意識を醸成し、「みんなが知っていて、みんなで守る」という世界の実現を目指したいと考えています。

当然ではありますが、iNaturalistは地球上の全生物が対象ですので、直翅類以外の情報も自由に投稿していただいて構いません。どうせなら、皆様の興味のある生き物を積極的に記録してください。直翅類のことは、頭の片隅にでも残しておいて、たまたま見かけたときに撮っていただけるだけで十分です。とにかく自然を楽しみましょう。

皆様へのお願い

僕の長くて拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございます。きっと、自然が失われゆくことに危機感を覚えていたり、読んでいく中で何かしら思うところのあった方だと推測します。そんな皆様にお願いがあります。このプロジェクトを進める中で、人々が間違った方向に進まないよう、支えてあげて欲しいのです。

自然が好きになったからと言って、その人たちが必ずしも生態系の保全にとって良い行動を取るとは限りません。千葉県のC市では、空路で入手したカブトムシを放虫している様子がTwitterで拡散され、大きな批判を浴びました。「国内外来種」についての問題と認識が広まってきてはいますが、2019年になっても、未だにこのような事態が起きています。また栃木県のS市では、ソメイヨシノに付着した地衣類を高圧洗浄機で剥がしたとして問題視されました。説明を求める市民からの問い合わせに対し、「地衣類が著しく付着し、樹幹が見えない状態になっている場合には、除去することを推奨している」としたものの、地衣類が樹に悪影響を与えるという科学的根拠は無いとのことでした。こうした思わず首をかしげてしまう事例は後を絶ちません。「クヌギやコナラを伐採して桜を植えます(神奈川県)」「子どもたちと一緒にニシキゴイ300匹を放流しました(山梨県)」「食草を栽培してジャコウアゲハを放蝶します(兵庫県)」...などがありますが、恐らく世間に認知されていない取り組みも多いでしょう。特に批判が大きく話題になったのが、大阪府のI市がイベントで行っている金魚の放流(計1万6000匹)です。開催を知らせるポスターを見た人が驚きの声と共にTwitterに投稿したところ、「環境テロだ」などと大炎上し、放流が中止される事態となりました。主催者側は、「イベントを通じて川に親しみ、命の大切さを学び、(地名)の山や自然をPRしたい」と釈明しましたが、「それこそ金魚の放流はおかしい」と、批判は大きくなるばかりでした。ところがこれを取り上げたメディアは、あろうことか批判した人々を悪質なクレーマー扱いしました。僕はこの時、世間の環境意識がまだまだ遅れていると思い知らされました。中止の騒ぎがあったのは2016年ですが、翌年から再び開催されています。

悪気はなかったにしろ、このようなことが頻発したり続いたりするようでは、却って環境悪化を加速させてしまいます。生態系の保全とは、環境そのものを守ることですそれをしっかりと発信して広めていかなければなりません。「一部の人間による厄介なクレーム」を「世論」にしていかなければなりません。そのために、皆様のお力をお貸しください。誰にも邪魔されず、ただ好きな生物を愛でていられたらどんなに良いでしょうか。しかし、もう自然が好きな人が積極的に動かないと、事態が今より好転することは決してないでしょう。どんなに小さなことでも構いません。自然のためにできること、何か始めませんか?